日本中を席巻しているインフルエンザ。
石川県にもやってきた。 子ども達が通ってる小学校でも 例外でなく一人また一人と増えてる。 今年のソレはタミフルも効かないという つわものらしいが、本来ウィルスの死滅を促すだけで 劇的に効いていたわけじゃないんじゃないかと思う。 なってしまえば本来の個々の抵抗力にすがるしかないのだ。 疲れている人や幼児、高齢者などは 要注意だ。 でも、要注意って言っても どう注意すればいいのだろうか? 手洗い、うがいで防げるものではないはずで、 もっと、防ぐ手段があるはずだ。 一番の方法!それは あったか~くして 爆睡することだ! ・・・・・できない。・・・ #
by sushikoma
| 2009-01-30 11:29
| なおき独り言
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2008年6月23日(月)。
その日も私は兼六園の店に朝から出勤。 他の家族もなにげない月曜日の午前中を過ごした。 日課になった携帯で安心ナビ位置確認。 親父はまた散歩かな?? ったく、今どこにおるんやろ? 携帯の地図GPSが示したのは 花里~城南の川沿い。 はぁ・・・また、あんな遠いとこ行ってる・・・。(2時半ごろ) 3時に兼六園店をクローズして帰宅準備。 その日は2時前に家を普段使うママチャリに乗って出かけたらしい。 ふ~む、チャリンコなら城南でも行けるなぁ。と納得したのを覚えてる。 でも、とんでもない事件の始まりだった。 3時半過ぎに本店に帰宅。そして安心ナビ位置確認。 しかし、応答が無い。ん?再度トライ・・・応答なし。あれ? 直接電話してみる・・・繋がらない。それから何度電話しても繋がらない。 電池がきれてるか、電源を間違えて切ったか、それとも圏外?・・水没?・・ なんか嫌な感じが胸をしめつけた。 「そのうち帰るよ」「大丈夫、ちゃんと帰ってくるよ」「待つしか無いやろ」と家族。 夕方、5時に夕食。親父はまだ帰らない。不安がどんどん膨らんでいく。 なんとなくおかしい。この感じはやばい気がするって思い、 午後5時半、自分の勝手ではあったが警察に電話した。 仕事が手につくはずも無いが お客さんには気づかれないように、 なんとか笑顔をつくってがんばった。 母の姉が連絡したのか来てくれて、弟とお袋とおばさんの3人で営業の途中であったが、 捜索に出てもらった。城南あたり 駅周辺 行きそうなところを何度も捜してもらった。 閉店後、女房の姉が駆けつけてくれて、次の朝早いのに一緒に捜索してくれた。 まず自転車を見つけなくては!と真っ暗な闇の中ひたすら捜した。 でも捜索の甲斐なく発見できず朝を迎えた。 次の日。火曜日は定休日。 休みでも仕事がある私。朝から市場に行き銀行に行き、早々と用事を済ませ、警察で全国の捜索願いの申請をすませた。 警察にもまだ保護されたという報告は無かった。 そして電話番を妻に頼んで、私も捜索に向かった。 既に弟とお袋も捜索していた。自転車は見つからなかった。 結構 山手から海岸沿いまで何度も往復してみたし、人のいる場所なら通報があるはずだから あまり人の気配が無いところを重点的に捜してたんだけど、あとで思えばとんだ思い込みと思い違いだった。 昼過ぎ 家に電話。電話の向こうで「お宅のお父さんを保護した」という。 すぐに弟から捜索中の私に連絡が入った。「親父見つかった!」「よっしゃ!良かった!で、どこで?」 「犀川ダムや!」「へぇ、犀川ダムかぁ!・・・・へ?犀川ダム?・・・うそやろ??・・・ママチャリで??!!」 いつか迷ってしまった熊走のまだずっと奥にある犀川ダム。1年前捜しにきたところだ。 あの時は自動車で迷ってしまったんだが 遠いと思った。しかし、今回はママチャリだ・・・もはや人間業ではない。 想像を絶する距離を迎えに行く車で感じながら、安堵感と絶望感で胸が痛んだ。約1時間でダムに着いた。 いた、親父が座っている。助けてくれた方(山田さん)まるで、山の番人様みたいな人。その番人のスウェットを借りたんだろうそれを着て、疲れ果てた顔で震えながら座っていた。「すまん、すまん。また謝っていた。」 とりあえず助けてくれた方にお礼と状況を聞いた。番人様と地元の警察の話に耳を疑った。まさに見つかったのは奇跡だった。 良かった。でもあれ?・・・自転車が無い。あれ?「すいません、自転車は無かったですか?」と聞くと、「ダム湖のずっと奥だ。」 「・・・・。」ことばが無い。「歩くと2時間以上かかるから、俺の船で連れて行っても良いぞ。どうする?」 と、言われ、自転車を放って置く訳にもいかず、せっかくなのでお願いすることにして番人の船でダム湖の上流へ向かった。 約30分船で進んだ後「この辺で降りて歩いたほうがいい」崖の岸に船を着けてもらったがいいけど、 ここ上がれるの??って感じだ・・・でも、番人は当たり前のように上がっていく。ツタや枝にもみくちゃにされながらなんとか上に上がると そこにはイノシシ1頭通れるかどうかのけものみちが 奥へと続いていた。・・っていうかまだ奥へ?? 「いくらなんでもこんなところ自転車で不可能でしょ?」と恐る恐る聞くと「足元にタイヤの後があるだろ?」って・・・ひぇ~あるよ~・・・。 「助けたときはここまで歩いたんだ。ここまでに自転車は無かったからこの先にあるはずだ」と番人様。・・だってよ~・・・。 弟と自分と番人様の3人でさらに奥へ奥へ。途中どうみても親父が滑って落ちた跡があった。でも自転車が無い。まだかよ~・・ しばらく歩くとそこには見慣れた自転車が転がっていた。その先には滑った跡がある。ここから力尽きた親父は下に降りて ダム湖の岸で夜を越えたのだろう。いくらなんでも遠すぎる。番人様も唖然としていた。あなたが山の番人様なら親父は宇宙の番人かもね。 でも親父、この先になにがあったの?。履物も途中でなくなって裸足で自転車を押しながら・・何度もダム湖へ滑り落ちて ビチャビチャになり・・・それでも這い上がり、この獣道をひたすら前へ進んでいた。いったい何が・・・。 親父ってすげぇ!!・・・ママチャリでこんなところまで来れるんや・・・と、馬鹿なことで感心するしかなかった。 見つけたのは朝の7時。見つけたときはしっかりしてたらしい、それから番人様の弁当半分とお茶をもらって気持ちがホッとしたのだろう、 その後は立てなくなったらしい。数時間がたち、やっとやっとだが立てるようになってダムの管理事務所まで戻ってから 私たちに電話をしてくれたそうだ。電話も無い家も無いおまけに歩けない。そんな状態だから私たちに知らせるまで時間を要してしまったのだと。 番人様、親父の命を救ってくださり、本当にありがとうございました。 もし見つけていただけなかったなら、孤独で寂しい最期となっていたのは確実だっだのだ。 いままで、一生懸命働いてがんばって家族一緒に暮らし孫もいて、そんな環境なのに 一人で孤独な死なんて 許されないはず・・・あぁ・・親父よ・・。 極度の脱水と発熱、全身打撲、擦り傷で筋肉もボロボロ。 家へ帰れずそのまま病院へ直行。 内臓にもかなりの悪影響があり1ヶ月は入院が必要と言われた。 が、宇宙の番人はさすがだ・・・・。 翌日には腕の点滴を自分で抜き、血だらけのベッドを作り上げ、 おまけに尿管まで抜こうとしていた。・・・・・抜いた。 「もう、ウチに帰る!」っと言っては看護師を困らせていた。 ナースセンターでは私はものすごく低姿勢でいなければならなかった。 数値は見る見る正常値に近づき、1週間後にはあざだらけ、傷だらけの体で病院を歩いていた。 ・・・親父、もう少しくらい 寝てれば??? そして2週間で傷や内臓の炎症は完治した。・・・医者も驚いていた。 その後、初めてデイケアという 介護施設を見学してきた。 詳しいことはまた次の日記で書きます。 はぁ、お父さんは、もう二度と僕を抱くことはないけど、残念な気持ちはありますか? 僕もその年になれば 息子や娘を抱きしめられなくなっているのでしょうね。 これからも、毎日、がんばって生きていくために 日記にしてみた。 #
by sushikoma
| 2008-12-05 15:24
| 認知症
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続きです。
興味ない人はシカトよろしく。 親父はコーヒーが大好きだ。 喫茶店で、市場で、家で、1日3~4杯は飲むだろう。 でも、その前に飲んだコーヒーを覚えてないときが殆ど。 多い時、午前中だけで3件コーヒーのはしごをする。 ある日、市場のコーヒーショップで隣の人の買い物袋を自分のものと思ったのか、 大きな買い物袋を2つ持って帰ってきたことがあった。 母に指摘されて親父もさすがにびっくりしていたが、弟があわてて戻って事なきを得た。 冷静になって考える・・・明らかに万引きである。 警察ではなくお袋にケチョンケチョンに叱られていた。 親父は、何故、自分があんな物を持ってきたのか理解できず訳が分からない様子だった。 いまでも、毎日コーヒーを飲みまくっている。 親父は市場人。 思えば開業以来42年間、ひたすら寿司を握り続けてきた人間だ。 勿論 朝から市場に行くのが日課で仕入れを生きがいにしてきた感があるほど市場好き。 しかし、症状が出てからと言うもの 調子の悪いときは仕入れはおろか お袋に頼まれる、お使いがままならなくなった。仕入れ原価がぐんぐんと上がってしまった。 頼みもしないものを買ったり、家にどっさりあるにもかかわらず買ってきたり。 そんな風だから、私も弟もだんだんと市場の仕事を親父から離してしまいがちになった。 それが、症状を進ませる要因となったのは事実だとは思うが・・どうしたら。 日毎、ささいなことが繰り返されている。 元気な頃は気にもしない小さなこともクローズアップして。 そして2年前には無かった気疲れが いつも家中に漂っている。 親父本人は何かにつけ 母に叱られ制され監視される日々を送っている。 だんだんと俯き、口数も少なくなって ちょっと鬱(うつ)になっていくみたい・・・ こりゃ、やばいぞってことでなんとかしようと、家族で話し合っても前進がない。 仕事が終わってから 親父のことで話し合いを何度とも無く(ほとんど毎日)しているけど、、 みんな、仕事+生活に追われ、その上、世話の焼ける大きな子どもに振り回される日々・・・ 気持ちに余裕が無いから 話し合いって言うより 怒鳴りあいになってしまう始末だ。 (結果、寝不足を引き起こし余計イライラ) 我々はとても人間の生活とは思えないリズムでなんとか守っている店の暖簾。 少なくとも、今まではお互いを尊敬し尊重し優しさでフォローし合っていたのに。 なんともいえない重々しい苦しみである・・・それでも容赦なく朝が来てしまう。 女房は子ども達の朝ごはんを作り私は元気に市場に行き、母もみんな朝から夜まで ノンストップの一日を駆け抜けなければならないのに。 いっぱいいっぱいの自分を癒す暇も無く、親父に振り回される日々。 たのむ! 親父、ちゃんとしてくれ!!・・・ #
by sushikoma
| 2008-09-20 16:13
| 認知症
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夏休みもいよいよ終わりです。
みんなそれぞれ思い出作りに夢中になっていたのでしょうね。 暑かった7月から・・・今日まで。 無休で働き続けた私は 仕事が思い出に・・・・(笑)(苦) 子供たちにもいい思い出を作ってやりたい!のはやまやまなのですが、 彼らは「温泉に行きたい!」だの「〇〇君は沖縄に行った。・・・いいなぁ。」 と言いながら、さみしい瞳で親をいじめるのである。 1回だけ温泉に行ったじゃないか!!・・・近くの・・・・ お正月明けには連休できると思うから、待ってろ!! あははは、夏の日差しっていう訳にはいかないし、1月は寒くて申し訳ないが、 わかっておくれ。私はそんな仕事をしているのだ。 #
by sushikoma
| 2008-08-31 18:44
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少しずつ書いた日記を載せていきます。
認知症に関係のない方は 無視していただいて結構です。 まさか自分もこんな風な日記を書くとは思わなかった。 これから続く日々が明るくキラキラしたものとは思えそうに無い。 確かではないが2年ほど前から親父が認知症風になった・・単なる物忘れだと。でも、 常に昔のことを話し、同じ内容を繰り返す。じっとしていられないのか、常にウロウロ歩きだす。 (今思うとまさにその症状だ。)しかし、まだまだ周りに迷惑になるようなことではなかったし、物忘れが激しくなっていたが、仕事もそれなりにこなしていた。 母親含め家族がはっきりと認識させられる決定的な事が起きたのは1年後の夏。 快晴のある火曜日の定休日。 親父は10時過ぎマイカーで「皮膚科に行って来る。」と言い。 いつもの街中の皮膚科へ車で出かけた。ほんの10分程度のところにある医院だ。 定休日だったので私は妻と2人で昼食を食べかけていた その時、携帯が鳴った。 親父が電話の向こうでしどろもどろになっていた。 「ここがどこかわからんがんなった・・」私は「え~っ!何か目印は?」・・「・・・そんなものは無いわ!」と親父。・・・もしかして、と思い「山道?」と聞いたら「そうや・・」・・・・なんで??皮膚科は??「とにかく、来た道を戻って!」「車が動かんがや・・」という親父。電波状態が悪いのか携帯も繋がりにくく、受話器の向こうで親父がなにかごちゃごちゃ言っているが聞き取れない。プツッと切れることしばしば。 何度もかけなおし、なんとか会話して体は無事だと言う、このままでは迎えに行き様が無いので。「とにかく歩いて、来た道を戻って、最初にみつけた民家に頼んで場所を知らせてくれ!」と告げ電話を切って、1時間・2時間・・・。 その間、家族に電話して弟と合流。ただじっとしていられずに どこともなく山のほうへと車を走らせた。携帯が鳴った。親父だ「ここは熊走や・・」・・・ん?熊走??・・知らん・・どこ?・ スグにナビで検索・・・遠い・・遠すぎる・・・・・・耳鼻科とは方向が違うけど・・??? 初めて訪れた熊走という村。町から車でで30分ぐらい山道を走らせる。 電柱に熊走って書いてある。数件しかない民家。親父の姿は無い。地元の警察にも頼んで捜した。・・・もっと奥の犀川ダムあたりまで捜した。こんな山には目印なんて確かに何も無い。 見つかったときは村の中の1件で親父はお茶をご馳走になってくつろいでいた。 「すまんすまん」と申し訳なさそうな親父。「車は?」と聞くと山奥を指差し「まだまだ奥や・・」・はぁ?まだまだ?・・ しょうがなく警察の方と村の方と一緒に山奥へと進んだ。 細い車1台やっと通れるような崖っぷちの山道に見慣れたそれは・・ 崖とは反対の溝にはまって傾いていた。 反対の崖じゃなくて良かったと、たぶんそこにいた全員が思ったであろう。しこたま時間がかかったけど(なんせ道幅が狭くて片側崖やし)みんなで車をたてなおして村に戻った。 やれやれ疲れ果ててしまった体で そこいらじゅうに(村中に)お礼を言って村を後にした。 ウチに着いたのは夕方6時近くだった。家族みんな疲れ果てた。 けど、親父の疲れた顔を見て、それ以外の何か不安と恐れが家族みんなの胸を苦しめていた。 その日以来 親父の一人での運転を禁じた。 そしてこの日を境に家族は親父を違う視線で見始めた。 まともな時もあって、今日は調子がいい。とか今日はちょっとヤバイかなぁ・・ という感じでその日その時の親父を見てしまっている。 つづく・・・ #
by sushikoma
| 2008-08-27 16:02
| 認知症
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