続きです。
興味ない人はシカトよろしく。 親父はコーヒーが大好きだ。 喫茶店で、市場で、家で、1日3~4杯は飲むだろう。 でも、その前に飲んだコーヒーを覚えてないときが殆ど。 多い時、午前中だけで3件コーヒーのはしごをする。 ある日、市場のコーヒーショップで隣の人の買い物袋を自分のものと思ったのか、 大きな買い物袋を2つ持って帰ってきたことがあった。 母に指摘されて親父もさすがにびっくりしていたが、弟があわてて戻って事なきを得た。 冷静になって考える・・・明らかに万引きである。 警察ではなくお袋にケチョンケチョンに叱られていた。 親父は、何故、自分があんな物を持ってきたのか理解できず訳が分からない様子だった。 いまでも、毎日コーヒーを飲みまくっている。 親父は市場人。 思えば開業以来42年間、ひたすら寿司を握り続けてきた人間だ。 勿論 朝から市場に行くのが日課で仕入れを生きがいにしてきた感があるほど市場好き。 しかし、症状が出てからと言うもの 調子の悪いときは仕入れはおろか お袋に頼まれる、お使いがままならなくなった。仕入れ原価がぐんぐんと上がってしまった。 頼みもしないものを買ったり、家にどっさりあるにもかかわらず買ってきたり。 そんな風だから、私も弟もだんだんと市場の仕事を親父から離してしまいがちになった。 それが、症状を進ませる要因となったのは事実だとは思うが・・どうしたら。 日毎、ささいなことが繰り返されている。 元気な頃は気にもしない小さなこともクローズアップして。 そして2年前には無かった気疲れが いつも家中に漂っている。 親父本人は何かにつけ 母に叱られ制され監視される日々を送っている。 だんだんと俯き、口数も少なくなって ちょっと鬱(うつ)になっていくみたい・・・ こりゃ、やばいぞってことでなんとかしようと、家族で話し合っても前進がない。 仕事が終わってから 親父のことで話し合いを何度とも無く(ほとんど毎日)しているけど、、 みんな、仕事+生活に追われ、その上、世話の焼ける大きな子どもに振り回される日々・・・ 気持ちに余裕が無いから 話し合いって言うより 怒鳴りあいになってしまう始末だ。 (結果、寝不足を引き起こし余計イライラ) 我々はとても人間の生活とは思えないリズムでなんとか守っている店の暖簾。 少なくとも、今まではお互いを尊敬し尊重し優しさでフォローし合っていたのに。 なんともいえない重々しい苦しみである・・・それでも容赦なく朝が来てしまう。 女房は子ども達の朝ごはんを作り私は元気に市場に行き、母もみんな朝から夜まで ノンストップの一日を駆け抜けなければならないのに。 いっぱいいっぱいの自分を癒す暇も無く、親父に振り回される日々。 たのむ! 親父、ちゃんとしてくれ!!・・・ #
by sushikoma
| 2008-09-20 16:13
| 認知症
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夏休みもいよいよ終わりです。
みんなそれぞれ思い出作りに夢中になっていたのでしょうね。 暑かった7月から・・・今日まで。 無休で働き続けた私は 仕事が思い出に・・・・(笑)(苦) 子供たちにもいい思い出を作ってやりたい!のはやまやまなのですが、 彼らは「温泉に行きたい!」だの「〇〇君は沖縄に行った。・・・いいなぁ。」 と言いながら、さみしい瞳で親をいじめるのである。 1回だけ温泉に行ったじゃないか!!・・・近くの・・・・ お正月明けには連休できると思うから、待ってろ!! あははは、夏の日差しっていう訳にはいかないし、1月は寒くて申し訳ないが、 わかっておくれ。私はそんな仕事をしているのだ。 #
by sushikoma
| 2008-08-31 18:44
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少しずつ書いた日記を載せていきます。
認知症に関係のない方は 無視していただいて結構です。 まさか自分もこんな風な日記を書くとは思わなかった。 これから続く日々が明るくキラキラしたものとは思えそうに無い。 確かではないが2年ほど前から親父が認知症風になった・・単なる物忘れだと。でも、 常に昔のことを話し、同じ内容を繰り返す。じっとしていられないのか、常にウロウロ歩きだす。 (今思うとまさにその症状だ。)しかし、まだまだ周りに迷惑になるようなことではなかったし、物忘れが激しくなっていたが、仕事もそれなりにこなしていた。 母親含め家族がはっきりと認識させられる決定的な事が起きたのは1年後の夏。 快晴のある火曜日の定休日。 親父は10時過ぎマイカーで「皮膚科に行って来る。」と言い。 いつもの街中の皮膚科へ車で出かけた。ほんの10分程度のところにある医院だ。 定休日だったので私は妻と2人で昼食を食べかけていた その時、携帯が鳴った。 親父が電話の向こうでしどろもどろになっていた。 「ここがどこかわからんがんなった・・」私は「え~っ!何か目印は?」・・「・・・そんなものは無いわ!」と親父。・・・もしかして、と思い「山道?」と聞いたら「そうや・・」・・・・なんで??皮膚科は??「とにかく、来た道を戻って!」「車が動かんがや・・」という親父。電波状態が悪いのか携帯も繋がりにくく、受話器の向こうで親父がなにかごちゃごちゃ言っているが聞き取れない。プツッと切れることしばしば。 何度もかけなおし、なんとか会話して体は無事だと言う、このままでは迎えに行き様が無いので。「とにかく歩いて、来た道を戻って、最初にみつけた民家に頼んで場所を知らせてくれ!」と告げ電話を切って、1時間・2時間・・・。 その間、家族に電話して弟と合流。ただじっとしていられずに どこともなく山のほうへと車を走らせた。携帯が鳴った。親父だ「ここは熊走や・・」・・・ん?熊走??・・知らん・・どこ?・ スグにナビで検索・・・遠い・・遠すぎる・・・・・・耳鼻科とは方向が違うけど・・??? 初めて訪れた熊走という村。町から車でで30分ぐらい山道を走らせる。 電柱に熊走って書いてある。数件しかない民家。親父の姿は無い。地元の警察にも頼んで捜した。・・・もっと奥の犀川ダムあたりまで捜した。こんな山には目印なんて確かに何も無い。 見つかったときは村の中の1件で親父はお茶をご馳走になってくつろいでいた。 「すまんすまん」と申し訳なさそうな親父。「車は?」と聞くと山奥を指差し「まだまだ奥や・・」・はぁ?まだまだ?・・ しょうがなく警察の方と村の方と一緒に山奥へと進んだ。 細い車1台やっと通れるような崖っぷちの山道に見慣れたそれは・・ 崖とは反対の溝にはまって傾いていた。 反対の崖じゃなくて良かったと、たぶんそこにいた全員が思ったであろう。しこたま時間がかかったけど(なんせ道幅が狭くて片側崖やし)みんなで車をたてなおして村に戻った。 やれやれ疲れ果ててしまった体で そこいらじゅうに(村中に)お礼を言って村を後にした。 ウチに着いたのは夕方6時近くだった。家族みんな疲れ果てた。 けど、親父の疲れた顔を見て、それ以外の何か不安と恐れが家族みんなの胸を苦しめていた。 その日以来 親父の一人での運転を禁じた。 そしてこの日を境に家族は親父を違う視線で見始めた。 まともな時もあって、今日は調子がいい。とか今日はちょっとヤバイかなぁ・・ という感じでその日その時の親父を見てしまっている。 つづく・・・ #
by sushikoma
| 2008-08-27 16:02
| 認知症
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いつも通る道。みなれたそこらへん。
こんな悲惨な光景に変わるとは・・・ 7月28日、午前8時50分、近隣の世帯に避難勧告。 まさに一瞬の出来事だった。 金沢の女川(浅野川)の堤防を水位が越えてあっという間に水と泥が広がり 町が家が車が・・・漬かってしまったのだ。 普段の水位から比べると5メートル位 川の水位が上がらないと 堤防を越えることは無いのだが なんなくあっさりと越えた。 幸いにも ウチの店は被害ゼロでした。が・・・こうなると そんなの関係ない! みんな全員が被災者なのだ! 朝8時、いつものように市場で買い物をし 店に入り仕事を始めたその時、 携帯から「近所が大変・・・川が氾濫してすごい事になってる!」と連絡を受けた。 急遽、弟に連絡して店番を変わってもらうことに。 友人宅も多いし、手伝いに行かなきゃ! できる事は何かをまず考える。・・・・おにぎりだ! とりあえず、おにぎりを40個作って 長靴を履き、シャベルを持って被災地に向かう。 なんという光景だろう・・・水はある程度引いたものの 泥が山ほど堆積しているではないか・・・ しかも重たいし粒子が細かく粘土状のその泥を布袋に入れて運ぶ。 とんでもない重労働だった!!妻におにぎりをもう40個追加して来てくれと頼んだ。 被害にあってない人も含め、我ら仲間数人と順番に作業しまくった。 家の中まで泥が入っている家屋もいっぱいあったが まずは人手の少ないところから手伝うことにした。 高齢者が多い町で、こんな作業、お年寄りには絶対無理だと思ったし。 案の定、老人が悲しい現実を目の前に ただ、呆然と立ちすくむ姿は言葉が無かった。 しかし、 一心不乱でどけている姿は 誇りに満ちて温かかった。 どこの人たち? って思いながらその家の人もお礼を言っていた。 言葉も交わす暇も無く 次の家へ。 さみしいこと。地域の他の若い連中にも もっと助けに来てほしかった。 中学生や高校生の姿も被災した家族以外は パラパラとしかいなかった。 この情景をみたなら 長靴はいてとりあえずここに来て見てほしいものだ。 数時間あちこちでやっと道路の表面が見え始める。 道路は復旧し始めた。夕方、床上浸水の家屋に後ろ髪を引かれながら仕事に戻った。 夕方、全国テレビのニュースに映っている金沢市を観てこれは絶対に人災だと確信した。 この辺りよりも悲惨な場所がいっぱいあって、 近所の娘さんがオープンさせたばかりの新しい小さな店が すべて流されてしまった。ここまで凄すぎると逆に手伝うことが無く。涙のみ。 夜中、友人宅が床下をまくって 泥を乾かす作業に扇風機2台と除湿機を持っていく。 次の日、 幹線道路に大型重機が作業をしていた。たぶん市からの要請だろう。 悲惨な民家に市の重機が助けてくれるはずも無く、相変わらず人手が少ないところは 作業が進んでいないようだった。 でも、多くのボランティアの方々、ありがとう。みんなの心のおかげで 果てしなく続く 作業に町中疲れきっている中、少しずつ人々に笑顔が。 こんな悲惨な状況のなか、地域のつながり、人のつながり、 心の通ったものでなければと強く感じた。その瞬間が大切だと。 最高の仲間をたたえん。 その名も大人の飲み会。 既に全身筋肉痛だと言うことは 仲間には内緒にしておこう。 #
by sushikoma
| 2008-07-30 07:59
| なおき独り言
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今日は父の退院です。
人生ではじめて、73年間ではじめての入院。だったのだが、 いったいどんな気持ちで過ごしたのだろう。 まぁ、途中、何度か脱走を謀ったのだが・・・(笑) とりあえず元気と言うことで よしとしましょう♪ 看護師の皆様 大変お騒がせ致しました。 父は頑固で我が儘ですが、これからもよろしく。 父に関する日記は また日を改めて。。。 ケーキでも買って帰ろうと。孫たちと食べりゃ美味しいかな♪ #
by sushikoma
| 2008-07-10 14:46
| 認知症
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