スシコマなオキ

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認知症 最終回

これで認知症のカテゴリーには書くことが無いだろう。

これまで4年間 認知と向き合い生きてきた。
介護施設にもお世話になった。

そこで起こったいろんな出来事はこれまでのブログでも書いてきた。

毎日、毎日、続く 怒りと苛立ちの家庭内。
お互いに労わり合わなきゃいけないのに
それができなくなっていた日々。
親父とお袋の壮絶な姿。

家族全体を苦しめていた 
なりたくてなったわけじゃない病気。

そう、全て ついこの前まで続いていたことなんだ。
そしてそれが一瞬にして無くなった。


これは、
何も言わずただ眠るだけの親父が
穏やかな家族を取り戻させてくれた。
最後の1か月の日記です。




平成24年 
2月26日(日)
昼ごろ親父が脳溢血で倒れた。
救急車で浅の川病院に搬送された。
左脳の前頭葉に大きく出血。
・・・脳出血。


2月27日(月)
MRI検査。
状態は変わらず、新たな出血も無し。
少し薄目を開けているが反応は無い。
今日は臨時休業。


2月28日(火)
3日目。
血圧が少し下って、脳圧を下げる点滴が外された。
薄目を開けてか開いてかわからないが
声の方に弱冠首を反応させている。
幾分痩せてきたか。
27日、28日休業したけど
今日から寿し駒も平常営業。
傍についていたいけど 
現実、仕事しないと・・・。


2月29日(水) 閏年。
全く反応なし。
昼間、向かい側の大部屋にうつった。。
38.2℃の熱。
意識が戻る確率って、どれくらいあるんやろうか。。。
朝は少し反応あったんだけどなぁ‥
もう少し時間がかかるのか・・・

先生に 多分、肺炎になっていると言われた。


3月1日(木)
呼びかけに反応は無いが、
手を握ると反射なのか軽く握り返す。
相変わらず痰がからむ。
咳払いのような動作を見せた。
少しずつお見舞いの方々が見え始めているが、
反応の無い父を見て皆、残念そうだ。


3月2日(金) 
朝は忙しくて病院に行けなかった。
夕方少しだけ病室に顔を出したが全く反応無し。
痰がからみ いびきの様な寝息で寝ている。


3月3日(土)
昨晩、血圧が190台まで上がったらしいので、
血圧を下げる点滴をまたつけられていた。
熱はまだ下がらない、
そのせいか息が荒くてイビキをかいてる。
なんか、今日はつらそうな感じ。



3月4日(日)  
倒れてからちょうど1週間。
今朝は、病室に行ったら 目を開けていてびっくり。
虚ろな感じで開けたり閉めたり。
左手も動かしてにぎるし、昨日までとはちがってかなり反応あり。
いい感じだ。
でも、まだ点滴はまだつけられていた。
熱も下っていないようだ、なんとなく熱い。
看護師いなかったし話せず病院を出て仕事に向かう。


3月5日(月)
38.8℃。
どうなっているのか、
入院の翌日からず~っと38.0℃超え。
心配だ。熱の原因がはっきりしない。


3月6日(火)
長男の公立高校入試1日目。

また元の病室(4人部屋)に戻った。
今日は目も開いて手もよく動かしている。
熱は上ったり下ったり。



3月7日(水)
長男の公立高校入試2日目。

熱がある。
熱が高いときは反応が薄い。座薬をいれて熱が下がると、
手を動かしたり目を開けたりするようだ。
血圧も高く また圧を下げる点滴を入れられている。

この日、ドクターから説明を受ける。

「この先、このままの状態で回復の見込はないです。」
と告げられた。
胃ろうをつけるかどうか家族で話し合ってくださいとも言われた。

胃ろうの話をうちの家族が話し合うとは、想像すらしていなかった。
少し考えさせて下さいと告げた。



3月8日(木)
熱下らない。変化無し。
目を開けたり閉めたり。
呼びかけには少しだけ反応するように思えるが、
はっきりとしたものではない。



3月9日(金)
忙しく見舞いに行けず。



3月10日(土)
長男の中学卒業式。

しっかりと目を開けるときがあるがうつろでモノを見ていない。

胃ろうについて毎日話し合う。
自分の中で揺るがないのは 
親父なら拒むだろうということ。


3月11日(日)
朝一で病院へ。
たまたま時間が空いているとのことでドクターと話す。

胃ろうをつけずに見ていただきたいと言った。

ドクターもわかりましたと承諾。
今後は今の診療を続けていくとのこと。
変化があればその都度 対応していく。
静脈に点滴用のパイプをつけたいから承諾をと言われた。

できれば家に連れて帰れればということも伝えた。

先生におそるおそる聞いてみた。
大体、このケースだと どのくらいもちますか?と。
先生は少し考えて一言「1ヶ月」 ・・・・。マジか・・・。


3月12日(月)
忙しく見舞いに行けず


3月13日(火)
朝、妻と長男と3人で病室へ。
目がモノを見ている気がした。
声にも反応しているように思えた。
なんとなく反応がよい。

内心、このまま良くなるなら
胃ろうにした方がいいのではと考える。

病院へ2月分入院費の支払を済ます。


3月14日(水)
七海 公立高校 合格!早速おやじに報告。

今日もなんとなく反応がよい。
このまま意識が戻ってくれるかもと思うほどいい感じだ。
でも、よく考えると意識が無いことに変わりは無いのだ。

また、胃ろうで悩む。


3月15日(木)
忙しく 病院には行けず仕舞い。


3月16日(金)
いい意味で変化無し。
苦しむわけでもなく
うつろに目を開けてはまた閉じ
ゆっくりと 普通に寝ているようだ。


3月17日(土)
午後から容態が急変。
痙攣のようにぶるぶる震える。
血液中の酸素が40台まで落ちて危険な状態に。
酸素マスクと痙攣止めの点滴を打つ。
熱も39℃以上で高い。 
なのに血圧は普通。心拍数はずっと148ぐらい。

先生は不在で、ナースに遠隔支持。
母曰く、痰がからんでむせたひょうしに
それを飲み込んでしまったらしい。
それが肺にでも入ったのか呼吸困難な状態に・・・。

ナースセンターの横の観察室に移動する。
その後、薬のおかげなのか 状態が安定したので帰宅。


3月18日(日)
朝、すやすや眠っている。
容態は安定。
昨日の発作のせいかチアノーゼがひどくなった。 
最近、どんどん痩せていく親父を見て 
看護師に栄養を増やしてもらえないか要請した。

そんなことしたら胃ろうをつけるのと同じだと親戚に言われた。

でも、増やしてもらった。


3月19日(月)
朝、容態は落ち着いた。
意識はまったく無い。
目も開けなくなった。

少し栄養のある点滴に変っていた。


3月20日(火)
観察室から一般の大部屋にもどった。
ひたすら眠っているようだ。


3月21日(水)
忙しくて病院には行けなかった。


3月22日(木)
静かに眠っている。
チアノーゼは少しおさまった。
おしっこの色が かなり悪くなってきた。


3月23日(金)
そういえば、先日の発作から親父は
目を開けることも手を動かすこともなくなっている。

痰がからむこともなくなっている。
おいおい・・・。

3月24日(土)
母が病院へ。
午前中は穏やかだったらしいが午後から一変。
目を大きく開け、呼吸が荒い。

弟が自分の子ども達を連れて病院へ。

午後3時に 母から
先生に「家族を呼んでください」と言われたという電話が入る。
兼六園の店を早仕舞して車を走らせるや否や
たまたまお見舞いに来ていた義母から電話。

「お父さん、だめやった・・・。」泣きながら電話の向こう・・・。

そんな・・・・あっという間に・・・間に合わなかった・・・。

方向転換し、家に向かう。
家に待機している家族を迎えにいき 病室へ。


先生から死亡診断書を渡される際、
何もできなくてすいませんでした。と言われたが
よくやってくださいました。と頭を下げ、父の病室へ。

昨日までと変わらない父が寝ている。
違うのは点滴や尿管、血圧計、1ヶ月ぶりに全てがはずされて
親父そのものの姿になった。

母と妻の両親の3人だけが最期を看取った。
苦しまずに静かに息をひきとったそうだ。

あまりに穏やかな表情の父。
何か狐にだまされているかのように目の前の光景が流れていた。


午後5時半。
静かに眠る親父を 家につれて帰る。
その時、
あぁ、息がない。と思った。


本当は一度でも生きているうちに
家に連れて帰りたかったのに・・・。


通夜までの2日間、親父は家ですごした。

親父が命をかけて築き上げた大好きな家で過ごした。
母も親父とゆっくりと語り合ったようだ。
それは今まで夫婦で生きてきた50年間をゆっくりとふりかえるように。
そしてこの4年間の自責の念をなぞるように。


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平成24年 3月24日(土)
午後3時18分。


初代寿し駒 親父 
細川 清士 永眠。


この1ヶ月は本当に意味のある
大切な大切な1ヶ月となった。
さみしいけど 
おかげで家族みんな 

ちょっと穏やかになれたよ。





いままでこのカテゴリにお付き合いいただきまして、
ありがとうございました。



前を向いて行くよう 
天国の親父から指示が出るので
がんばって参りましょう。

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by sushikoma | 2012-04-07 15:37 | 認知症



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