スシコマなオキ

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運命の日(認知症3)

2008年6月23日(月)。
その日も私は兼六園の店に朝から出勤。
他の家族もなにげない月曜日の午前中を過ごした。
日課になった携帯で安心ナビ位置確認。
親父はまた散歩かな?? ったく、今どこにおるんやろ?

携帯の地図GPSが示したのは 花里~城南の川沿い。
はぁ・・・また、あんな遠いとこ行ってる・・・。(2時半ごろ)
3時に兼六園店をクローズして帰宅準備。
その日は2時前に家を普段使うママチャリに乗って出かけたらしい。
ふ~む、チャリンコなら城南でも行けるなぁ。と納得したのを覚えてる。
でも、とんでもない事件の始まりだった。

3時半過ぎに本店に帰宅。そして安心ナビ位置確認。
しかし、応答が無い。ん?再度トライ・・・応答なし。あれ?
直接電話してみる・・・繋がらない。それから何度電話しても繋がらない。
電池がきれてるか、電源を間違えて切ったか、それとも圏外?・・水没?・・
なんか嫌な感じが胸をしめつけた。
「そのうち帰るよ」「大丈夫、ちゃんと帰ってくるよ」「待つしか無いやろ」と家族。
夕方、5時に夕食。親父はまだ帰らない。不安がどんどん膨らんでいく。
なんとなくおかしい。この感じはやばい気がするって思い、
午後5時半、自分の勝手ではあったが警察に電話した。
仕事が手につくはずも無いが お客さんには気づかれないように、
なんとか笑顔をつくってがんばった。

母の姉が連絡したのか来てくれて、弟とお袋とおばさんの3人で営業の途中であったが、
捜索に出てもらった。城南あたり 駅周辺 行きそうなところを何度も捜してもらった。
閉店後、女房の姉が駆けつけてくれて、次の朝早いのに一緒に捜索してくれた。
まず自転車を見つけなくては!と真っ暗な闇の中ひたすら捜した。
でも捜索の甲斐なく発見できず朝を迎えた。

次の日。火曜日は定休日。
休みでも仕事がある私。朝から市場に行き銀行に行き、早々と用事を済ませ、警察で全国の捜索願いの申請をすませた。
警察にもまだ保護されたという報告は無かった。
そして電話番を妻に頼んで、私も捜索に向かった。
既に弟とお袋も捜索していた。自転車は見つからなかった。
結構 山手から海岸沿いまで何度も往復してみたし、人のいる場所なら通報があるはずだから あまり人の気配が無いところを重点的に捜してたんだけど、あとで思えばとんだ思い込みと思い違いだった。

昼過ぎ 家に電話。電話の向こうで「お宅のお父さんを保護した」という。
すぐに弟から捜索中の私に連絡が入った。「親父見つかった!」「よっしゃ!良かった!で、どこで?」
「犀川ダムや!」「へぇ、犀川ダムかぁ!・・・・へ?犀川ダム?・・・うそやろ??・・・ママチャリで??!!」
いつか迷ってしまった熊走のまだずっと奥にある犀川ダム。1年前捜しにきたところだ。
あの時は自動車で迷ってしまったんだが 遠いと思った。しかし、今回はママチャリだ・・・もはや人間業ではない。
想像を絶する距離を迎えに行く車で感じながら、安堵感と絶望感で胸が痛んだ。約1時間でダムに着いた。
いた、親父が座っている。助けてくれた方(山田さん)まるで、山の番人様みたいな人。その番人のスウェットを借りたんだろうそれを着て、疲れ果てた顔で震えながら座っていた。「すまん、すまん。また謝っていた。」

とりあえず助けてくれた方にお礼と状況を聞いた。番人様と地元の警察の話に耳を疑った。まさに見つかったのは奇跡だった。
良かった。でもあれ?・・・自転車が無い。あれ?「すいません、自転車は無かったですか?」と聞くと、「ダム湖のずっと奥だ。」
「・・・・。」ことばが無い。「歩くと2時間以上かかるから、俺の船で連れて行っても良いぞ。どうする?」
と、言われ、自転車を放って置く訳にもいかず、せっかくなのでお願いすることにして番人の船でダム湖の上流へ向かった。
約30分船で進んだ後「この辺で降りて歩いたほうがいい」崖の岸に船を着けてもらったがいいけど、
ここ上がれるの??って感じだ・・・でも、番人は当たり前のように上がっていく。ツタや枝にもみくちゃにされながらなんとか上に上がると
そこにはイノシシ1頭通れるかどうかのけものみちが 奥へと続いていた。・・っていうかまだ奥へ??
「いくらなんでもこんなところ自転車で不可能でしょ?」と恐る恐る聞くと「足元にタイヤの後があるだろ?」って・・・ひぇ~あるよ~・・・。
「助けたときはここまで歩いたんだ。ここまでに自転車は無かったからこの先にあるはずだ」と番人様。・・だってよ~・・・。
弟と自分と番人様の3人でさらに奥へ奥へ。途中どうみても親父が滑って落ちた跡があった。でも自転車が無い。まだかよ~・・
しばらく歩くとそこには見慣れた自転車が転がっていた。その先には滑った跡がある。ここから力尽きた親父は下に降りて
ダム湖の岸で夜を越えたのだろう。いくらなんでも遠すぎる。番人様も唖然としていた。あなたが山の番人様なら親父は宇宙の番人かもね。

でも親父、この先になにがあったの?。履物も途中でなくなって裸足で自転車を押しながら・・何度もダム湖へ滑り落ちて
ビチャビチャになり・・・それでも這い上がり、この獣道をひたすら前へ進んでいた。いったい何が・・・。

親父ってすげぇ!!・・・ママチャリでこんなところまで来れるんや・・・と、馬鹿なことで感心するしかなかった。

見つけたのは朝の7時。見つけたときはしっかりしてたらしい、それから番人様の弁当半分とお茶をもらって気持ちがホッとしたのだろう、
その後は立てなくなったらしい。数時間がたち、やっとやっとだが立てるようになってダムの管理事務所まで戻ってから 
私たちに電話をしてくれたそうだ。電話も無い家も無いおまけに歩けない。そんな状態だから私たちに知らせるまで時間を要してしまったのだと。

番人様、親父の命を救ってくださり、本当にありがとうございました。
もし見つけていただけなかったなら、孤独で寂しい最期となっていたのは確実だっだのだ。
いままで、一生懸命働いてがんばって家族一緒に暮らし孫もいて、そんな環境なのに
一人で孤独な死なんて 許されないはず・・・あぁ・・親父よ・・。

極度の脱水と発熱、全身打撲、擦り傷で筋肉もボロボロ。
家へ帰れずそのまま病院へ直行。
内臓にもかなりの悪影響があり1ヶ月は入院が必要と言われた。
が、宇宙の番人はさすがだ・・・・。
翌日には腕の点滴を自分で抜き、血だらけのベッドを作り上げ、
おまけに尿管まで抜こうとしていた。・・・・・抜いた。
「もう、ウチに帰る!」っと言っては看護師を困らせていた。
ナースセンターでは私はものすごく低姿勢でいなければならなかった。
数値は見る見る正常値に近づき、1週間後にはあざだらけ、傷だらけの体で病院を歩いていた。
・・・親父、もう少しくらい 寝てれば???

そして2週間で傷や内臓の炎症は完治した。・・・医者も驚いていた。

その後、初めてデイケアという 介護施設を見学してきた。
詳しいことはまた次の日記で書きます。

はぁ、お父さんは、もう二度と僕を抱くことはないけど、残念な気持ちはありますか?
僕もその年になれば 息子や娘を抱きしめられなくなっているのでしょうね。

これからも、毎日、がんばって生きていくために 日記にしてみた。
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by sushikoma | 2008-12-05 15:24 | 認知症



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