スシコマなオキ

カテゴリ:認知症( 15 )

立秋前に

おふくろが
骨折してから
3週間。
施設に泊まりだしてからというもの。

なんと穏やかな 優しい表情なんだ!
もっと ガミガミ怒ってたやん!
チクチク嫌味言うてたやん!

帰ったら 迷惑かけると思ってるらしく、ほんとに穏やかな表情で 言うのだ。。
「私はもうずっとここにいてもいいよ。」
「ご飯も美味しいし 夜もちゃんと寝れるし」
って。。
「私が帰ってもみんなに迷惑かかるし こんな状態で帰っても居場所がないよ。」

「ここ(施設)にいたら 楽だし 気も使わなくていいし 帰っても役にたたずに邪魔になるくらいならずっとここに居たいんやけど」と言うのだ。。。。

おいおい
なんかさみしいやん。。

ずっと?

何言ってるん、、、?!

今まで 寿司屋の女将で ひたすら忙しなく生きてきて こんなにのんびり過ごしているのは たぶん初めてだろう。確かにのんびりさせてあげたいな とは思うけど。

ごめん、ずっとはダメです。

呆けるし。。

お金がかかりすぎる。。

そしてケアマネさんには
「私はここにずっといるから。」
「お金は貯金がたくさんあるから。」
って言うてたらしい。

お金はないから。。。自分の通帳みてから言ってくれ。。

退職金もない個人事業で おまけに国民年金なんて 本当にみじめなものなのだ、、、

さぁ、ケアマネさん と今後を話しないとね。

骨は少しだけ回復してきてるらしいが、このまま 施設にいたら 完全に呆けてしまうのわかってる。
骨折の痛みもやわらいできたみたいだし、そろそろ施設から出てもらおうかと思ってる。

おふくろ、
あんたの居場所は 寿し駒だよ。


ある日の会話

「おふくろ、
施設にいると タバコも酒も抜けたおかげで、健康になったんやない?」

「ホントに、飲まんで済んどる。」

「でも、あきらかに ボーッとしてきているね。」

「そっか?」




うーむ。
一長一短である。
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by sushikoma | 2016-08-05 13:31 | 認知症

はぁ、なんてこった。

28年7月19日から1泊で行く予定だった東京行きをキャンセルした。

はぁ、なんてこった。。

本店と兼六園店の 両方を休んで
大切なお客様と一緒に 一泊二日の東京豪遊旅行へ 、、、そして何より 初めて乗るはずだった 北陸新幹線。

本当に楽しみにしていた 銀座豪遊(笑)

キャンセルした。


7月16日の朝、
市場に行き 本店の仕込みをして 兼六園店に向かおうと いうところ、なかなか起きてこない母の部屋を見にいったら ベッドに横たわったまま「痛い痛い」と胸を押さえていた。
そして また 夜中に起きて飲んだな。。お酒のにおい、そして 二日酔いの様子の母。
俺が
「どうした?」

「胸が痛い」
いつも腰が痛いとか足が痛いとか言ってるから それと同じかと思ったが なんとなく様子が違う。
『おいおい、世の中連休で 忙しいんだぞ。。兼六園店に行かないといけないんだぞ。』って思ったけど、、、

「とりあえず医者いこ。」と言った。

それからやわやわ着替えさせ 支度して車で近くの形成外科へ。
さすがに兼六園店のオープンに間に合わなくなるので ここで女将と交代して病院を出た。

数時間後
女将から連絡が入る。
「胸骨がポッキリ折れてるって」
「それと、以前 折れたりヒビが入ったりして自然治癒した跡が他にも4箇所あるって」
胸骨??
んな 太っいもんが折れるんか?
エアバッグでも部屋に落ちてたか?

前にも肋骨の骨折跡があるって。。。痛いの我慢して言わなかったな。。まったく、医者嫌いにもほどがあるよー。。
気がつかなかった俺も悪いのか。。。

とにかく母が骨折した。

痛いという母を見て
「階段生活のこの家では とても 生活できないでしょう。」
とケアマネさん。
そうか、
そう言われればそうだった。
階段昇り降りできなきゃ 何にもできないんだ。。母の部屋は3階、仕事も生活も1階、今の状況では とてもとても無理だ。。そして施設を探してもらうことになった。

骨がつながるまでの間だとさ。。。

って いつだ?

そんなに長く施設に居たら 認知症の症状がすすむんじゃないか。。。
え?

母は また店にたてる?
母は また着物を着れるようになる?
え?
もう できなくなる??
え?
あ、
えーっ!?

と、いろんなこと思ってしまっている。
はぁ、なんてこった。
施設は新しく とても綺麗。
母は気に入ったようで 喜んで安静にしている。
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子どもが小さい頃 どこかへ旅行に行こうとしたら 前の日に 熱をだしたり おたふく風邪になったり そんな感じだぞ。。

はぁ、、、せっかくの休みが こんなことになるなんて、、8月の末まで無休なのに。。。

はぁ、なんてこった。

東京行きをキャンセルした。




いったい 私は



北陸新幹線を
いつになったら
見ることができるのか。。



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by sushikoma | 2016-07-20 18:22 | 認知症

認知症 最終回

これで認知症のカテゴリーには書くことが無いだろう。

これまで4年間 認知と向き合い生きてきた。
介護施設にもお世話になった。

そこで起こったいろんな出来事はこれまでのブログでも書いてきた。

毎日、毎日、続く 怒りと苛立ちの家庭内。
お互いに労わり合わなきゃいけないのに
それができなくなっていた日々。
親父とお袋の壮絶な姿。

家族全体を苦しめていた 
なりたくてなったわけじゃない病気。

そう、全て ついこの前まで続いていたことなんだ。
そしてそれが一瞬にして無くなった。


これは、
何も言わずただ眠るだけの親父が
穏やかな家族を取り戻させてくれた。
最後の1か月の日記です。




平成24年 
2月26日(日)
昼ごろ親父が脳溢血で倒れた。
救急車で浅の川病院に搬送された。
左脳の前頭葉に大きく出血。
・・・脳出血。


2月27日(月)
MRI検査。
状態は変わらず、新たな出血も無し。
少し薄目を開けているが反応は無い。
今日は臨時休業。


2月28日(火)
3日目。
血圧が少し下って、脳圧を下げる点滴が外された。
薄目を開けてか開いてかわからないが
声の方に弱冠首を反応させている。
幾分痩せてきたか。
27日、28日休業したけど
今日から寿し駒も平常営業。
傍についていたいけど 
現実、仕事しないと・・・。


2月29日(水) 閏年。
全く反応なし。
昼間、向かい側の大部屋にうつった。。
38.2℃の熱。
意識が戻る確率って、どれくらいあるんやろうか。。。
朝は少し反応あったんだけどなぁ‥
もう少し時間がかかるのか・・・

先生に 多分、肺炎になっていると言われた。


3月1日(木)
呼びかけに反応は無いが、
手を握ると反射なのか軽く握り返す。
相変わらず痰がからむ。
咳払いのような動作を見せた。
少しずつお見舞いの方々が見え始めているが、
反応の無い父を見て皆、残念そうだ。


3月2日(金) 
朝は忙しくて病院に行けなかった。
夕方少しだけ病室に顔を出したが全く反応無し。
痰がからみ いびきの様な寝息で寝ている。


3月3日(土)
昨晩、血圧が190台まで上がったらしいので、
血圧を下げる点滴をまたつけられていた。
熱はまだ下がらない、
そのせいか息が荒くてイビキをかいてる。
なんか、今日はつらそうな感じ。



3月4日(日)  
倒れてからちょうど1週間。
今朝は、病室に行ったら 目を開けていてびっくり。
虚ろな感じで開けたり閉めたり。
左手も動かしてにぎるし、昨日までとはちがってかなり反応あり。
いい感じだ。
でも、まだ点滴はまだつけられていた。
熱も下っていないようだ、なんとなく熱い。
看護師いなかったし話せず病院を出て仕事に向かう。


3月5日(月)
38.8℃。
どうなっているのか、
入院の翌日からず~っと38.0℃超え。
心配だ。熱の原因がはっきりしない。


3月6日(火)
長男の公立高校入試1日目。

また元の病室(4人部屋)に戻った。
今日は目も開いて手もよく動かしている。
熱は上ったり下ったり。



3月7日(水)
長男の公立高校入試2日目。

熱がある。
熱が高いときは反応が薄い。座薬をいれて熱が下がると、
手を動かしたり目を開けたりするようだ。
血圧も高く また圧を下げる点滴を入れられている。

この日、ドクターから説明を受ける。

「この先、このままの状態で回復の見込はないです。」
と告げられた。
胃ろうをつけるかどうか家族で話し合ってくださいとも言われた。

胃ろうの話をうちの家族が話し合うとは、想像すらしていなかった。
少し考えさせて下さいと告げた。



3月8日(木)
熱下らない。変化無し。
目を開けたり閉めたり。
呼びかけには少しだけ反応するように思えるが、
はっきりとしたものではない。



3月9日(金)
忙しく見舞いに行けず。



3月10日(土)
長男の中学卒業式。

しっかりと目を開けるときがあるがうつろでモノを見ていない。

胃ろうについて毎日話し合う。
自分の中で揺るがないのは 
親父なら拒むだろうということ。


3月11日(日)
朝一で病院へ。
たまたま時間が空いているとのことでドクターと話す。

胃ろうをつけずに見ていただきたいと言った。

ドクターもわかりましたと承諾。
今後は今の診療を続けていくとのこと。
変化があればその都度 対応していく。
静脈に点滴用のパイプをつけたいから承諾をと言われた。

できれば家に連れて帰れればということも伝えた。

先生におそるおそる聞いてみた。
大体、このケースだと どのくらいもちますか?と。
先生は少し考えて一言「1ヶ月」 ・・・・。マジか・・・。


3月12日(月)
忙しく見舞いに行けず


3月13日(火)
朝、妻と長男と3人で病室へ。
目がモノを見ている気がした。
声にも反応しているように思えた。
なんとなく反応がよい。

内心、このまま良くなるなら
胃ろうにした方がいいのではと考える。

病院へ2月分入院費の支払を済ます。


3月14日(水)
七海 公立高校 合格!早速おやじに報告。

今日もなんとなく反応がよい。
このまま意識が戻ってくれるかもと思うほどいい感じだ。
でも、よく考えると意識が無いことに変わりは無いのだ。

また、胃ろうで悩む。


3月15日(木)
忙しく 病院には行けず仕舞い。


3月16日(金)
いい意味で変化無し。
苦しむわけでもなく
うつろに目を開けてはまた閉じ
ゆっくりと 普通に寝ているようだ。


3月17日(土)
午後から容態が急変。
痙攣のようにぶるぶる震える。
血液中の酸素が40台まで落ちて危険な状態に。
酸素マスクと痙攣止めの点滴を打つ。
熱も39℃以上で高い。 
なのに血圧は普通。心拍数はずっと148ぐらい。

先生は不在で、ナースに遠隔支持。
母曰く、痰がからんでむせたひょうしに
それを飲み込んでしまったらしい。
それが肺にでも入ったのか呼吸困難な状態に・・・。

ナースセンターの横の観察室に移動する。
その後、薬のおかげなのか 状態が安定したので帰宅。


3月18日(日)
朝、すやすや眠っている。
容態は安定。
昨日の発作のせいかチアノーゼがひどくなった。 
最近、どんどん痩せていく親父を見て 
看護師に栄養を増やしてもらえないか要請した。

そんなことしたら胃ろうをつけるのと同じだと親戚に言われた。

でも、増やしてもらった。


3月19日(月)
朝、容態は落ち着いた。
意識はまったく無い。
目も開けなくなった。

少し栄養のある点滴に変っていた。


3月20日(火)
観察室から一般の大部屋にもどった。
ひたすら眠っているようだ。


3月21日(水)
忙しくて病院には行けなかった。


3月22日(木)
静かに眠っている。
チアノーゼは少しおさまった。
おしっこの色が かなり悪くなってきた。


3月23日(金)
そういえば、先日の発作から親父は
目を開けることも手を動かすこともなくなっている。

痰がからむこともなくなっている。
おいおい・・・。

3月24日(土)
母が病院へ。
午前中は穏やかだったらしいが午後から一変。
目を大きく開け、呼吸が荒い。

弟が自分の子ども達を連れて病院へ。

午後3時に 母から
先生に「家族を呼んでください」と言われたという電話が入る。
兼六園の店を早仕舞して車を走らせるや否や
たまたまお見舞いに来ていた義母から電話。

「お父さん、だめやった・・・。」泣きながら電話の向こう・・・。

そんな・・・・あっという間に・・・間に合わなかった・・・。

方向転換し、家に向かう。
家に待機している家族を迎えにいき 病室へ。


先生から死亡診断書を渡される際、
何もできなくてすいませんでした。と言われたが
よくやってくださいました。と頭を下げ、父の病室へ。

昨日までと変わらない父が寝ている。
違うのは点滴や尿管、血圧計、1ヶ月ぶりに全てがはずされて
親父そのものの姿になった。

母と妻の両親の3人だけが最期を看取った。
苦しまずに静かに息をひきとったそうだ。

あまりに穏やかな表情の父。
何か狐にだまされているかのように目の前の光景が流れていた。


午後5時半。
静かに眠る親父を 家につれて帰る。
その時、
あぁ、息がない。と思った。


本当は一度でも生きているうちに
家に連れて帰りたかったのに・・・。


通夜までの2日間、親父は家ですごした。

親父が命をかけて築き上げた大好きな家で過ごした。
母も親父とゆっくりと語り合ったようだ。
それは今まで夫婦で生きてきた50年間をゆっくりとふりかえるように。
そしてこの4年間の自責の念をなぞるように。


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平成24年 3月24日(土)
午後3時18分。


初代寿し駒 親父 
細川 清士 永眠。


この1ヶ月は本当に意味のある
大切な大切な1ヶ月となった。
さみしいけど 
おかげで家族みんな 

ちょっと穏やかになれたよ。





いままでこのカテゴリにお付き合いいただきまして、
ありがとうございました。



前を向いて行くよう 
天国の親父から指示が出るので
がんばって参りましょう。

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by sushikoma | 2012-04-07 15:37 | 認知症

2月から3月の境目

2012年 2月26日、

雪が舞う日曜日。

山水会(小学校父親の会)の年中行事、親子スキー遠足。
その日、娘と一里野温泉スキー場へ来ていた。

午前中、リフトを何本も滑って娘も満足げ。

昼食タイム。
おにぎりとカップラーメンをを食べながらみんなで休憩。
その時携帯がなった。
妻からだった。

「落ち着いて聞いて・・・」
「お父さんが家で倒れた」
と。

倒れた時家には母しか居なかった。
倒れたままどうにも動かない親父に、困った母。
兼六園の店から仕事中の弟を呼び、
弟は家から救急車を呼び市内の総合病院に搬送。


私は、スキー場まで大型バスをチャーターして来ていたので帰る手段が無い。
仕方なくタクシーを呼ぼうと思っていたところ、(2~3万円覚悟して)
たまたま友人の弟さんがプライベートでスキー場に。
ちょうどもう少しで帰宅というではないか。
娘をスキー場に残し、家まで送ってもらった。助かった。


15時ぐらいに帰宅。
すぐに病院へ。
すでにCT検査を済ませベッドに横たわる親父。

先生から説明を聞く為別室に異動。

そこにはCTの画像。
左脳の前頭葉にびっくりするほど大きく出血・・・。

先生から 
もし、意識が戻っても障害は大きく残りますと告げられた。
予断を許さない危ない状態だということも。


お袋は動転している様子。
この状況を把握できずに、どうしていいのかわからず
親父の手を握ったり、足しを擦ったりしていた。


自分も 何がなんだかよくわからないまま
入院手続きやらなんやら サインをしたり捺印したり
ただ 時間に流されていた。

そして、その日から親父は 意識をなくした。


毎日、病室に行っているが
1週間たった今日も 意識は戻っていない。
反応はあったりなかったり。




今まで認知症で あれだけ家の中で暴れていた人間が 
毎日怒鳴り声を上げていた同じ人間が
今は 一言も発せずにただ眠っている。

何故、急におとなしくなった???

なんなんだ・・・・一体・・・。
どうして次から次へと・・・・・なんなんだよっ。




いろいろ考えている。
あることないこと プラスにもマイナスにも
いろいろ考えている。


でも、全くわからない。どうなっていくのだろうか。


どうか、どなたか教えてくださいませんか?

今日も懸命に 仕事に生きるのみ。
そう、思って自分を奮い立たせないと 
今にも体と心がガラガラと崩れてしまいそう。



あと、2日で
大きい宝物が
公立高校入試に挑む。


そんなある日の日記でした。





親父よ、・・・・・・・・・。

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by sushikoma | 2012-03-04 12:17 | 認知症

認知症 10

前回のブログに対して
いろんな方から メッセージをいただきました。

あまり いい表現ができなくて・・・
いろいろ心配おかけしたようで。

確かに極論的な 書き方をしました。
常に毎日、日替わりで悩んでいるのです。

そして 本当に多くのことを 目を瞑って 
やり過ごして生きています。


ブログで弁明しているようで おかしくなりますね。


介護者と暮らす 家族にとって
幸せに笑顔で 優しさを分け合い
生きていくためには 極論を話し合うこと。
それは 必然なのです。


この病気になった 親父には わからんのです。
うらやましいほど 何もわかっていないのです。

4年間、毎晩、ごく普通に夜の眠りにつくことも、
毎朝、ごく普通に朝をむかえられなかったことも。 
これまで、家族の心の疲労を・・・。

何ひとつ わかっていません。


これから先、まだまだ続く 我が家の内情。

そりゃ、叱ったこともあった。
鍵を閉めて 夜中に出られないよう拘束もした。
夜中に冷蔵庫の中のものを 片っ端から食べてしまわないよう
店に行けないようにもした。


いろんなことを その場その場で考えさせられてきた。
対処せざるおう なかったと思う。


「叱ってはいけないよ」
「優しくしてあげて。」
「病気だからしょうがないよ。」

いろいろ言っていただいております。

わかってる。ちゃんとしっかりわかっています。


ごめん、親父。
考え方を変えなきゃ。。。。

でも、手を離す 勇気は まだ無い。

心から親父を 大切におもいます。

他人じゃないから 余計に かまってしまうんです。
放っておけば いいのに それができないのです。


暴力に対しても、穏やかでいられるように・・・。
殴られても 蹴られても 優しく接する為に何が必要なのか・・・・・。 

お袋や自分達に 何が足りないのだ・・・。

未だに、言えば 親父が かすかにでもわかってくれるのでは、と錯覚してしまう。



悔しいですが

まだまだ、人間の修行が 足らんのです。。 

本当、どんなに 傷ついても
絶対に動じず 常に前を向き 
おおらかで 歩いていかなければ、
店を潰してしまいそうです。

多くの借金を返さねば!

親父、ごめん。
もう少しだけ おとなしくしてくれ!・・・・ははっ、無理か。

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by sushikoma | 2011-10-01 14:36 | 認知症

認知症 9

先日、

親父が今 お世話になっている デイケア、ショートの各施設の方3名と
ケアマネさんと 母と自分6人で 話し合いをした。

内容は 親父の現状の把握とこれから先の予定。家族の気持ち。

母がいつも 対応しているのだけど
長男の意見、気持ちも知っておきたいとのことで初めて席がもうけられた。

それは、お互い意思疎通がとれて 距離が縮まってよかったと思う。
ケアマネさん、ありがとう。
これからもよろしく頼みます。


さて、
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5年前の親父。

そして

現状・・・。


すっかり足腰が弱くなったのか、近くの散歩すらしていない。
家の前をウロウロするのみとなった。

人の名前が全く思い出せなくなった。(これは私もおなじだ!笑。)

時々、孫に「お~い、なおき~!」と私の名前を叫んでいた。


それから、食べること、夜、店を仕舞う頃に飲む酒だけは忘れない。

あとは、我が家では大きな問題だったのだが、少しずつ暴力は減っているように思う。
(メマリーという新薬が効いているのか???わからない。)


そうそう、店にいる時間が極端に減ってきた。
パジャマで店に降りてくることもしばしば。



ま、言えばきりがないな。

それよりも
やがて4年経つが この病気をなかなか受け入れていない、母。

親父と母は二人で 歯を食いしばって今日の寿し駒がある。

やっと 肩の荷が下り これから二人で 温泉に行き、
ゴルフに行き、食事に行き。というささやかな余生が
無残に散ったのだから、母にしてみれば 歯がゆく
憤り、親父に気持ちを ぶつけるのだろう。。。。

とめられない。。。

ただ、そうは言っても 私の家族も一緒に生活をしているのだから、
母の気持ちのはけ口が 妻に降りかかることもしばしばだ。

店の雰囲気、家庭の和、今まで意識しなくてもなんとなくバランスがとれていたのに・・・
これが どんなに難しく困難なことだと この2年、思い知らされている。


妻は よくがんばっている。
本当によく 我慢してくれていると思う。

だけど、この先 こうなるから今はがんばれ!っていう話じゃない。

このさき明るい希望、光り輝く未来、
この状態が続くかぎり そんなものは無い。。。



これから先・・・



じっと考えている。


このままではみんな潰れてしまう。



そう、一日も欠かさず ず~っと、考えていた。


そして、はっきりと言える事がある。



それは、母が常に父の方を 向かなくてもいいようにすることだ。

母は 常に親父と向き合ってる。
いや、言い方がちがうかもしれない。

母は 自分の苦しみと悲しみを 親父にだけは 知って欲しいのだ。
無念さを親父に ぶつけて、いつか親父から
「すまん。悪かった。いままでありがとう。」
と言って欲しいのだ。

そう、ねぎらいの言葉一つだけでも。。。。


朝から夜まで 常に一緒に働き生きてきた二人だから そうなったのか・・・
お互い 別の趣味ぐらい持っていて、お互い少しだけでも距離があれば
そうはならなかったのかもしれないと思う。

でも、母もそろそろ 自分の未来を見直して欲しい。
親父と離れた自分の未来を。




これから先・・・・

このままでは・・・・

ずっと、思っていたんだ。
でも、言えなかった事がある。

もう言わなければいけないのかもしれない。


そう、親父が家に居なければいいのだ・・・・。









先日、コメントをいただきありがとうございました。

これからも、お願いします。

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by sushikoma | 2011-09-22 12:25 | 認知症

認知症 8

何故、ショートを断られるのか・・・
半年ぶりに親父の話。

これまでも 書く材料がなかった訳じゃない。
むしろ 何を書けばいいのか迷うぐらいだ。


現在、週4日は最初から行っている『あんずの里』へ、
あと週2日は新しくリスト入りした『ユイマール』という施設へ、
週6日間、朝9時頃お迎え、夕方4時に帰宅というタイムテーブル。

学校に通う 子どものような 生活リズムに
家族もいつの間にか慣れている。


今、家族はショートの施設を捜している。
短期間施設に泊まって利用するサービスのことで、「介護宿泊施設」といった感じ。

理由はいろんなことの積み重ね。
お袋が 精神的にもかなり疲労し
このままでは 家の中の健常者が
倒れてしまう恐れがあるから。




親父は前にも言ったが
体は健康で 体力もまだまだ現役だ。
唯一 昔からの神経痛の膝が 今も気になるらしく
散歩という得意の徘徊が満足に出来ない状態。
それがかえって家の中でパワーを
発散させてしまう原因なのだと思う。
とにかく 壊れかけている
家族の体と精神・・・。


ショートをさがし始めたのは 夏の終わりごろ。
経験者やドクターやいろんな人にもその方がいいと勧められた。



手続きを済ませ、ケアマネや施設の関係者から
本人も施設に慣れるのに時間がかかるかもしれないと
環境に慣らすためにも一泊だけのショートステイを経験させた。


しかし、次からその 施設へ行くことはなかった・・・
・・・申し込んでみるのだが 幾度と無く断られてしまうのだ。


そして また新しく施設を探し、手続きをするのだ。

また同じように『まず、体験させて少しずつ慣らしましょう』と言われ一泊の体験泊をするのだ。

そしてまた、次の利用希望を出すと やんわりと遠まわしに断られるのだ。


おかしいと思い施設やの送迎者の方に聞いても『特に問題は無かったですよ。』
と言うし、その度に こんどこそ大丈夫だと思って期待してしまう。


でも甘かった・・・

『何月何日、ショート申請して下さい。』とケアマネに申し込むと、
後日、施設から『いっぱいだから』とか『その曜日はショート出来ない』とか・・・。
ケアマネを通して 断りの連絡が入るのだ。


・・・何箇所も・・何箇所も・・・・。



何のための申し込み手続きなんだ・・・
何のためのケアマネなのだ・・・
何のための介護施設なんだ・・・


そう、わかってる
断られる原因は親父に問題があるのだろうと思う。

夜中にウロウロ施設内を動き回ってるんだろう。
外に出たがっているんだろう。

でもね 最初からわかっているはず。
親父には問題があるんだよ。
親父は 認知症という病気なんだよ。
要介護3のね。


わかってますか?
今 この状態の時に一番 預かってもらいたいと言う状況を。
ケアマネにも 再三再度話して 探すよう頼んでみたけど・・・・
困惑した様子で そちらで探してください。とまで言われた。


施設には資格をもった介護士が仕事をしている。
しかし、他の入居者の部屋に入ってしまうとか、
施設内をウロウロ動き回られると介護士が手薄になり
困ると言うことを聞いた。要は監視できていないのだ。

言葉の節に、
『薬を強くして 睡眠促進剤を増やして
フラフラに させてくれるなら 預かってあげるよ。』
という 立場上 絶対に言えない施設側の言葉を 飲み込んでいるケアマネをみて
介護制度って なんなんだろう・・・って思うのだ。





昨日、5月24日
親父の主治医の推薦で 1件申し込みをしてきた。


とりあえず 断られても 断られても 頼み続けるしかない。

暴れず 叫ばず 寝たきりな状態なら デイサービスで充分なのだから。



今、我が家はショートの施設を捜している。
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by sushikoma | 2011-05-25 13:47 | 認知症

認知症 7

久しぶりに親父の話。

最近は遠くに歩きに行くわけでもなく、
無銭飲食をするわけでもない。

要介護4の親父は週に五日 デイケアに行っている。
そしてケアマネのアドバイスでショート(泊まりの施設)にも経験も兼ねて何度か行った。

でも、最近はショートを頼んでも 
既にいっぱいで・・・と断られることが殆どで、
そんなにいっぱいなの???と思うほど見事に断られている。

親父自身は どこに行ってきたのかも
何をして時間を過ごしてきたのかも 
覚えていることは ほとんど無いが、
連絡帳を見る限りでは 楽しく過ごせていると思う。

ウチに朝から何もしないでいるよりも
メリハリがある生活や人と交わることで
病気の進行を遅らせていると言える。
明らかに言える。

そして施設に行っている間は
家族にとって表現は悪いが
安堵の時間と言えるのだ。

家族の誰か一人でも 認知症などの病人と
向き合わなくてはならない状況。

それは その状況に置かれた者でなければ判らない
幸せとは正反対の空間だ。

そんなときにも生きていけるように、
しがみついていられる何か

を持っている必要があるのかも002.gif

認知親父よりも家族の気持ちのほうが はるかに弱くて脆いのである025.gif


予断。

2012年、介護保険制度の見直し。
1、要支援・軽度の要介護の者の生活支援を給付の対象からはずす
            (軽度の要介護とは要介護2までとの意見あり)
2、要支援・軽度の要介護の者の利用者負担割合を2割に引き上げる
            ケアプランの作成に利用者負担を導入する
3、一定の所得がある人の利用者負担割合を2割に引き上げる
            (一定の所得とは年金による年間所得が200万円以上との意見あり)
 

と、だれが決めるのやら・・・・

昨今、車椅子のシールを張った車や、ケアホームなどと書かれた車が街を走っている。
その数ははんぱない008.gif・・・まさに現代の社会現象である。

そしてこの先、介護を必要とする人口が増えていくことは
小学生の知識でも明らかだ。
そして 要介護の人たちの大部分は 
この不景気を何とか乗り越えるだけで精一杯生きた人たちだ。

ましてウチなんかは
そんなに多くの財産を貯めれるわけでなく、
潤沢なお金があるわけではないのである。
毎月借金を返すだけでヒィヒィ言っているのに・・・。



この先、介護の現状は益々厳しく、
人が人として温かく生きていける社会と
反対の道を歩んでいくような気がしてならない。


介護だけの問題ではないが、日本が日本で生きるために・・・・
自分たちは何も出来ないのか・・・・
やるせない不安、行き場のない憤り。

どうにかならんか・・・・


姥捨て山の話を思い出す。

そこには老婆心(ろうばしん)という思いと共に。

年老いた母を背負って山に捨てに行く途中、
「お前が帰り道を間違えないように枝をおって目印をつけておいたから、それをたよりに気をつけて里へ帰りなさい」 と、母。
自分が捨てられようとしながらもなお我が子の為に道しるべを残してやろうとする親心。

人として 生きるものとして 

どうあるべきかを考えてます。
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by sushikoma | 2011-01-12 12:28 | 認知症

認知症6

昨日の診察日。

親父は毎度のように、朝から近所をウロウロしていた。

お袋が運転する車に 親父は毎度のように
「お前の運転で、ワシが横にのるんか?」
と文句言いながら、助手席にすわる。

思えば親父が常に運転してお袋は助手席というのが指定席だった。
私がまだ小学生の頃、二人同じ時期に免許を取得したのを覚えている。
最初は家族でドライブだといってカー用品店に連れていかれたものだ。
だけど、その頃からも、お袋の運転は殆ど記憶に無い。
聞くと、30年間レジェンド的ペーパードライバーだった。

親父が認知になって、「これからは私が運転しないと!」といい、
自動車学校へ通って練習していたのが2年前。
すぐに軽自動車を買って、私や弟を助手席に乗せ路上講習をした。
汗が・・・出た。へんな汗が・・・。

最近は買い物や病院や 
チョロチョロ乗っているみたいで、
正直、お袋の運転こそが心配である。

話がそれてしまったけど
そんな袋の助手席に 文句言いながら親父は
診察へと病院へ向かった。


帰ってきた親父はいつものように 病院へ行ったことも
すっかり忘れていて、休みを利用して病院にいったのに、
その休みのデイケアに行ってきたんだと、言っていた。
私もすっかり慣れてしまって、「そうか、そうか、」と俯く。

しかし、お袋の様子がおかしく、
「どうしたん?」ってきくと
もう、ウチでは診れないから 
脳神経科に行って下さいと、
言われてショックを受けていた。

手に負えないみたいな、感じだったという。

えっ・・・・・・そんなに・・・すすんでるの????


今のデイケアでも もうじきお払い箱のように
ウチじゃ看れないから・・・・って言われるのだろうか。

進んでいることに 否定的ではいられないけど、
段階みたいに 『次に進んでください』みたいに 言われてる気がして・・・
よく判らない 苛立ちと 不安感。


もう、殆ど 店には立っていない 親父を
お客さん方は 心配してくださっている。

挨拶もろくにできない日もあれば、
「いらっしゃい!」と、大きすぎる声で
みんなを驚かせる日もある。
まったく・・・・親父の
脳みそはどうなってるの・・・????


健気に思う 昨今である。
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by sushikoma | 2010-05-20 15:51 | 認知症

認知症 5

2010年 春、

普段と変わらない 速さで流れていく月日。

毎日起こる いろんな出来事を まるで「ふんっ」と鼻であざ笑うかのように 

時は流れていく。

いつでもそうだけど、振り返れば あっという間だったと気づくの過去の大問題。

そのときは悩んで 目を瞑り・・胃が痛くなったり・・・抜けたり(笑)。



今日。
少しの暇をつくっての 久しぶりの日記である。



あれから約3年が過ぎた今、

症状は緩やかなのかそうでないのかわからないが、進んでいる。

週に5日 デイケアに通っている。

そこでの過ごし方は持ち帰ってくる『日報』の中でしか判断できないが、

じっとしていられずに、常に散歩しているらしい。

まぁ、協調性なんて、はなから期待してないが やはりだ。

近くには田畑が多く、のどかな気持ちで歩いているんだろう。

庭になっている柿をもいでは食べていたらしい。
当然その家からは要注意人物としてブラックリスト入りをはたしているのだろう。

小さな頃の環境を思い出しての行動なんだろうなと思う。。

法律上許されない行動だし、その家の方にしては不謹慎だろうけど、微笑んでしまってすいません。





化学的なことはわからないが、多分脳の記憶媒体(メモリ)がいっぱいなんだろう。

思えば70年もの間、いろんなことを覚えてきたのだから充分だろう。

ましてや この現代社会には 覚えなくていい余計なことが多すぎるぐらいだから。

本当にもう充分と思う。



そしてこれは普通の症状なのだろう、

今日が何月何日なのか何曜日なのか全くわかっていない。

10分おきぐらいに携帯電話を開いては最大に表示されている日付を確認している。

新聞も殆ど見ていない(日付をみるくらい)。テレビのニュースもろくに観なくなった。

きっと興味が無いんだろう。っていうか必要無いんだろうな・・・

日曜日の朝、市場に行っては帰り、行っては帰りを繰り返す(日曜日は市場は休みだぞ・・・)
って言っても無駄である。誰にも止められないのだ。


ただ、以前と違うのは 最近は散歩も極近い範囲内のみで 出て行ったと思えば2分ぐらいで帰ってくる。

そして日付を確認して 新聞を開いてはすぐに閉じ またその辺を散歩する。

朝から何十回と、その繰り返しである。

あまり遠くへ行かなくなったのは、加齢が原因、あとは体重も増えて脚にかかる負担がおおきくなったせいなのかとも思える。


人間という生命が永遠では無いにしろ、骨格や筋肉、内臓、そして脳の 衰え方のバランスが悪すぎる。

バランスよく衰えれば ワケガワカラナイ様にはならないのではないか・・・・・タラレバか・・・。


日々の時間 一緒に過ごしながら考えさせられる その姿。

こうして客観的に文字にする事自体はどうなのだろう。

ただ、あまりにいろいろありすぎて、言葉で喋ると感情が入りすぎて涙が止まらないだろう。



【人と会話をする必要も無く 仕事でしなければならないことも無い毎日。】

そりゃあ、事件も政治も株価も 知る必要もないよね。
興味、関心は すべて仕事の一環だったんだと・・・・


そして それを取り上げてしまったのは 私だ。



もうひとつ、そんな親父だが マージャンのテレビだけは、じっと観ている。
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by sushikoma | 2010-02-08 11:20 | 認知症



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